『日本辺境論』 内田 樹 著
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/11/16
- メディア: 新書
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【所感】
・もともとは、日本の中の辺境の論かと思って手にしたのだけど、実は、日本全体が”辺境”だからこそ今に至っているという本。
・哲学っぽい話のところは、ややこしくて、何度か寝落ちしてしまったけど、辺境という切り口で、日本の成り立ちをスパッと切ってくれた爽快さは気持ちよかった。
・武士道は、「或るものに対して或るもの」という報酬の主義を排する。・・・努力と報酬の間に相関があることが確実に予見せらるることは武士道に反する、・・・。これは、・・・「学び」の基本です。もちろん、世界の賢者はこのことを一般論としては熟知しており、・・・。けれども、この構えを集団的な「刷り込み」によって民族的エースとにまで高めようという無謀を冒したのは日本人(とユダヤ人)くらでしょう。
・日本の辺境性から、地方は中央に比較すると、二重の辺境性をもってるということかな?標準語とか中央の方言と地元の方言、とかも含めて。というか、中央集権制に適した素地のあるというか、逆に、地方分権には向かないメンタリティというか文化性というか。
・でも、個人レベルでは、そういった中央を構成する人たちは、地方出身だったりするから、集団と個人で、この辺境性の現れ方が異なるのかも。というか、思考の種類とか型というよりは、コミュニケーションの型なのか。もしくは、辺境性に打ち勝つ個をもってるような人が、中央で国内向けには伸していく、ということか。あの田中角栄でさえも、中国にいったときは、周恩来との握手のときに、手が震えてたって、聞いたような。
・中国を中心とした日本の辺境性、韓国・ベトナム・モンゴル・中国内辺境地域との違いというか同質性というか、語って欲しかったかも。というか、ここ100年とかの歴史的な流れの中で、中華の辺境性が残っているのが、日本だけ、もしくは、顕著に残ったのが日本だけ、ということなのかも。
・逆に、ヨーロッパとか、インドあたりとか、中東あたりとか、の辺境性って、どうなのかな?
・たぶん、読者の大勢が読後に感じたであろうことだけど、自分って、やっぱ日本人なんだなぁ、としみじみ思った次第。
・帰国子女とかで、この辺境性が希薄な人が、リーダーになっていくのか、日本はやっぱみんなと同じ辺境性を体現してる人じゃないとダメなのか。組織のカルチャーとかビジョンにもよるのだろうけど。
【目次】(細目は抜粋)
1.日本人は辺境人である
日本人はきょろきょろする
オバマ演説を日本人ができない理由
他国との比較でしか自国を語れない
「お前の気持ちがわかる」空気で戦争
ロジックはいつも「被害者意識」
「辺境人」のメンタリティ
明治人にとって「日本は中華」だった
とことん辺境でいこう
2.辺境人の「学び」は効率がいい
『武士道』を読む
無防備に開放する日本人
便所掃除がなぜ修業なのか
学びの極意
3.「機」の思想
どこか遠くにあるはずの叡智
極楽でも地獄でもよい
「機」と「辺境人の時間」
武道的な「天下無敵」の意味
敵を作らない「私」とは
きめ細かく身体を使う
「学ぶ力」の劣化
「世界の中心にいない」という前提4.辺境人は日本語と共に
「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか
日本語の特殊性はどこにあるか
日本語がマンガ脳を育んだ
「真名」と「仮名」の使い分け
日本人の召命