『希望の国のエクソダス』   村上龍 著

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)


【所感】
・元々は、2000年に単行本が出てたから、12年前の本。2005年頃に一読したようなオボロゲな記憶あり。
 
・今からなら、自分の子供が、学校に行きたくない、って言ったら、理由にもよるけど、それはそれでありだろーな、既存の教育の仕組みというか学校がダメ(っぽい)なのもあるけど、ネットのおかげ、ってのがデカイかな。
 
・明治以降、もしくは、昭和初期以降、はたまた戦後以降、形成されてきた日本の様々な仕組み、構造、考え方が、いまや、機能してないよね、という話。で、どうする?というところは、2000年に書かれてる感じで、12年経った今読むと、ちょっと面白い。中学生をその突破者に選んでるあたりとか、ネットで初期のお金をまわすところとか、村上龍っぽい、か。
 
・村上作品、好きなのが多い。課題認識とか、舞台設定とか、独特で、好みにも近い。が、で、どうする?というところが、なんか古いというか、懐かしいというか、そんな印象。新しい時代の到来が、結局、古い時代の新しい時代の到来手法のまま、というあたりが、全体として、懐かしいというか、そんな印象。革命というか権力闘争、という既存が新しいものに取って代わられる、という事象が前提になっているところと、その手法において、金と暴力とマスメディアにウエートがあるからかな。たぶん、村上龍が、イノベーションについて、深く調べたりしてみると、その部分で、新しい何かに気付いてくれて、村上龍らしい作品として、まとめてくれるんだろーなー、と思う。そろそろ、過去の勉強をやめて、未来の勉強をして欲しいところ、と期待するには、歳、食いすぎたかな。
  
・2010年代初頭のロシア(の若者)には、絶望しかないから、移民希望者が多数とか、2000年代後半の中国は、いままで希望を持つことができなかったけど、ようやく希望を持てるように、持ってもいいかな、と思えるようになった、と。希望を棄てて、裕福で長寿なのって、100年前とか50年前の日本人が望んだことだったのだろうか。
 
 
 
【気になった言葉】

この国には、何でもあり。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。・・・生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない、という国で、希望だけしかなった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか、・・・。